南三陸町の地元の方々

四月九日、雨ふり

今日は、朝から雨が降っていた。
朝の六時すぎ、かまくらから来た鎌倉青年会議所の方々が、炊き出しにくる。

なので、やんじーチームは、前から気になっていた吉野沢団地に炊き出しにいく。

じつは、数日前にボランティアにきて、ミサンガを作ってくれた地元のゆうじくん。

その子の住む団地が、家は残ってるが、孤立してるようで、一度炊き出しをしてほしいとのこと。

避難所ではなく、こういった孤立してる地域は、まだまだ沢山ありそうだ。

いきなり、そこの団地で炊き出しするのではなく、そこ地区の代表者に承諾
をもらう。

いつも、車泊している時に、気にかけてくれてるファミリーマートの近所の人。いつも黒いサングラスをしてる。
津波をかぶりそうになった人だ。
昨日も、親戚のご遺体が判明したらしい。

そんな中でも、私たちのことをとても気にかけてくれてる。
吉野団地のお世話係をしている人のところに、一緒に挨拶についてきてくれた。

なので、吉野団地も炊き出しすることが出来た。

炊き出しに他の団体がきたが、五十食しかあたってなかったので、住民みんなに行き渡ってなくて、がっかりしたことがあったらしい。

なので、たっぷりお代わりが出来て、みんなに行き渡る炊き出しは、とてもうれしいと言ってくださった。

今日は、時間の合間をぬって、エリクサー水を配る。

前にいったとこのつづきで、にらの浜地区と寄木地区にいく。

にらの浜は、すぐそばが海で、家屋は、壊滅状態。まだまだ手つかずの状態だ。自衛隊の遺体捜索の人たちもたくさんいる。
そんな中、少し高台の一件に、老夫婦がいた。

食糧、水は、届けられてるものの、飲み水は、大変うれしい。とのこと。

家の中も見せていただいたが、物が整理されてなくて、水も、屋根近くまで、浸水したようだ。

避難所より、家が落ちつくからと、家で寝泊まりしてるらしい。

一昨日の余震で、水の配給も、また制限されてるらしい。

もう一件奥に、おじいちゃんが流されて、おばあちゃんが一人暮らししてるときき、水タンクをおいてきた。

寄木地区は、民宿で区長さんをやってる人にたまたま行き着き、話をきく。
今でこそ物資がとどくようになったものの、地震直後に全く孤立していた地区らしい。

三十回ほど、自衛隊のヘリが通ったが見つけてもらうことが出きず、赤い布をくくりつけ振ってたという。
二週間で、やっとヘリコプターから、物資が届いたらしい。
食糧も、地区のみんなで、あったご飯をおにぎりにしたり、流された家の冷蔵庫から食糧を探し、餓えをしのいでたという。
想像を絶する。

なので、つつじ苑など、何箇所かで、チームやんじーのラーメンやカレーを食べたらしく、とてもあの時は、心があったまった。と話してくれた。
落ちついたら、北海道みんなで、訪ねたいなと、海や、壊滅した町が見える菜の花や、梅が咲く高台でお話してくれた。

また、チームやんじーが仙台に入ったときに出会った南三陸町に勤めるちかちゃん。最初の一日、一緒に炊き出しもした。
この時は、リュックしかもってなくて、仙台の友人宅に滞在してた。

歯ブラシや、着てる服も薄着。
一緒に寝泊まりしたこともあり、あるものを鞄から探して渡した。

今は、仕事に復帰して、がんばってるらしい。

生きる力と暖かい心を感じる南三陸町の人たちである。

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