母から娘へ、娘から子へ。時代は巡り巡り息づいている


3月8日(木)

3月3日、4日に、カフェみんたるにて アネサラシネウプソロ~遠山サキさんファミリーと学ぶアイヌの唄と手仕事の2日間に参加した。

4年前に開催ピリカ ケイトゥム アプカシ~きれいな心で歩くのピースウォークで共同代表だったやなぎいとたえちゃん。二人が主になって、アネサラシネウプソロ実行委員が立ち上がった。
やんじーが4年前のピースウォークで、1か月かけて伴走車や食事係、またファイナルイベントの場所提供など様々にサポートしており、その縁で今回のイベントの実行委員に挙がっていた。

やなぎいは、やんじーブログにも何度か登場しているが、いつも、私たちの活動をあたたかく見守って、何かと助っ人で、そっと手をさしのべてくれる存在。
岩手出身の心やさしい女性である。
7月のニセコでのイベントでは、レスキューキッチンの前に立ち、12月のまほろばでの震災支援お礼のぶた汁の炊き出しでは、寒い中手伝ってくれた。いつもありがとう。

たえちゃんは、サキさんのお孫さんになる。5月の旭川のチームやんじー応援チャリティライブでは、夫婦で駆けつけてくれた。チームやんじーTシャツをデザインしてくれたアトリエRAKANの床絵美さん、私たち夫婦にお守りや弟子屈のじゃが芋を提供してくださったり喫茶ポロンノのふきちゃんもサキばあちゃんのお孫さんである。
みんなそれぞれの形で私たちの活動をあたたかく見守ってくれ、やんじーなんかは娘みたいに思っている。



遠山サキさんと娘さんは、2年前のいのちの環が日本の受け入れ団体だった13人のグランドマザー会議に参加。アグネスはアイヌサポートということで同行し、何かとお手伝いしたのも縁である。13人のグランドマザー会議は、世界の先住民族のおばあちゃんが集まり、これからの地球や未来について、またそれぞれの祈りの儀式をシェアしたりした。


写真は、グランマザー会議に参加していたアグネスばあちゃん。

会場の予定だった奄美大島はその日、雨で水害になり、電話の連絡などが遮断されるなど大きな被害があった。
なので、急きょ グランマザー会議は、霧島にて開催された。
霧島では、その後、新燃岳が噴火。やんじーもフードバンクの活動で、大量の非常食を霧島に投入した。

そんなこんなで、いろんなハプニングも共に共有しながら、遠山ファミリーには、もちつもたれつで私たちも大変お世話になっています。
今回の3.11の震災でもあらゆる角度で手を差し伸べ、チームやんじーを応援してくださりました。

今回のイベントでは、遠山ファミリーが多数集まり、1日目は、唄やムックリ、トンコリの楽器など織り交ぜたライブ。2日目は、手仕事を習う2日間だった。

ムックリは竹で作られた口びるにあてて鳴らす楽器である。アグネスはこの楽器は大好きで、よく川の流れのあるとこや大好きな木の前なんかで鳴らしている。

トンコリは、弦楽器である。

3日の桃の節句には、サキさんさん始め、娘さん。あとお孫さん。ひ孫にあたる小学生の子どもさんまで4代にわたる唄の披露があった。
写真がなくて残念。
目をつむって唄声を聴いてると、森の中にいるようなやさしい気持ちになった。
さきさんやたえちゃんが息子さんを抱っこして唄った子守唄は、何か私もお母さんの気持ちになり、やはり東北にいる親子の方とかの姿とかが目に浮かぶ。

えみさん、ふきちゃん二人姉妹の輪唱(ウコウク)や2重奏のムックリは、何か遠い昔のような新しい未来のような、でもここにいるような不思議な時間空間へと誘われた気分だった。

さきさんたちの娘さんたちの手作業をしている時に歌う唄など、やはり日常の暮らしの中に音楽はあるんだなーとしみじみ感じた。
そして、震災からの3月23日から炊き出しを黙々として、音楽なんかない毎日緊迫した状況の時を思いだした。
ある時、流されていたスピーカーをチームやんじーのメンバーが持ってきて、つなげてみたら音楽が鳴った時の感動と解放感。しみじみ思いだす。
音楽ってすごい!どこの空間にも一瞬でいける。

子どもたちも、りりしく堂々とした歌いぷっりだった。


どんな時代でも、どんな民族であっても、母から娘へ。娘から子へとリレーのように、その家ならではの文化は脈々と続いているはずである。
ぐるぐると巡りめぐっているのだ。

今この時代で私たちはどうだろう?暮らしの知恵や先人の生き様は生かされ、続いているのだろうか?改めて考えさせられた。

2日目は次のブログにて。

文・アグネス 写真・アグネス・やんじー

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