手仕事は、しゃべりばの場と学びの場。アイヌのおばあちゃんに手仕事を学ぶ


3月9日(金)

会場となったみんたるでは、チームやんじー支援の手作り募金箱が設置されていた。
みんたるはチームやんじーのTシャツを置いてくださったり、募金をよびかけて下さったり、札幌でのチームやんじー応援団カフェの一つである。

さきばあちゃんの娘さんである悦子さん手作りのちらし寿司をおいしくいただく。おひな祭りらしい、春が一気に近づくような彩りが美しいちらし寿司だった。
きっと前日から朝の出発も早かっただろうに、たくさんのお寿司を用意して、いろんな顔を思い浮かべながら作っておられたんだろうと思うと頭が下がる。

2日目は、手仕事を習う。

刺繍でコースターを作る班。ガマの穂で花ござを作る班。木の皮で糸を紡ぎ、小物を作る班に分かれる。
みんたるは、床がぬけるんじゃないかと思うくらい、いっぱいの人手だった。

アグネスは、木の皮で糸を紡ぐのを習う。
紡ぐことをアイヌ語でカイカというそうだ。

木の皮をねじりながら、糸状にして編んでいく。
おひょうという木の皮やイラクサという草で服を作ったり、シナの木の皮で袋など生活の道具を作ったり、身近にあるものを必要以上には採取せずに、暮らしの中で必要な道具や身につけるものを作る。ここに真髄があるように思う。

今回は、シナの木の皮で紡ぎ、ストラップを作った。

昔むかし、小さいころ、おばあちゃんが、正月に飾る〆縄やわらじを作っているのを見たことがある。そして、かすかな記憶だが、藁を叩いて、縄にしていったのを習った覚えがある。
また、北海道で十年ほど前、あるアイヌのおばあちゃんにイラクサの糸つくりを森で習うのに、イラクサを採りにいったことがある。
糸つむぐまでは、用事があり習えなかったけど、後で習った人から聞くと、あのイラクサの量で、糸になるのはほんの少し。しかも、長い時間かけて作っていくんだよ。と言われた。道具や衣服になるまで、どれだけの手間ひまがかかっているのか。。

種がどこかから飛んできてそこに落ち、植物となる。その植物と出逢い、人の手によって、道具や衣服になっていくのである。
根っこから生えてる植物の思いをはせ、身につける家族などへの思いをはせ、そんなことを思うと大きな大きな時間サイクルの中で自分は生かされているんだとモノ作りの中で感じてしまうのではと思う。

そんなこんなで、糸紡ぎはとっても興味があり、花ござ作りと迷ったが、今回はカイカに挑戦した。

始めは、紡ぐ要領が分からず手こずったが、コツをつかむと楽しくなってきた。
糸になりだすと、ずっと、紡いでいたい気持ちになった。

みんたる店主みかよさんと。
口で糸を紡ぐ、えみさんの姿を見て驚いているところ。
余裕が出来ると隣の人と教えあったり、ぺちゃくちゃお話しながら糸を紡ぐ。
時には無心になりながら。

きっと、女性の手仕事って、こうやって和になってお話や唄なんかうたったりして、日々思うことや気になることなんかを情報交換していたんだろうなー。
こういう積み重ねって、何か緊急事態が起きたときなんか、いろんな力を発揮するんだと思う。

2メートルクラスの糸を何本も紡げるようになると、かばんも出来るようだ。まだまだ遠い未来だが挑戦したいものである。
そういえば、やんじーが結婚衣装でお借りした おひょうの糸で編んだ着物も70年前に作られた着物。70年前の植物が生き生きとした形で衣服になって生きつづけているのである。感動せずにはいられない。

お隣の花ござものぞいてみる。
がまの穂も、よく触るとスポンジ状で、ござには最適だ。まさにござにはうってつけの植物ではないか!
用途に適した植物を見極め、必要な分しか採取しない。
先人の知恵は、本当に感心することばかりだ。



遠山ファミリーに教わった手仕事を通し、本来あるべき姿やコミュニティを少し体感したように思う。
また、東北の方でも、刺し子や手縫い、手作りのものを女性が集まって作って、製品を販売する仕組みも出来つつある。

女性のパワーが未来に向かって。

懐かしい未来に向かって、私も共に、前にすすんでいこう。

文 アグネス 写真 やなぎい(トップ写真、写真6)、やんじー

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