ショックだったこと。震災から、一年八か月を過ぎた今も。


12月2日(日) 晴れ

今回三陸の方に行き、アグネスは、二点、ショックなことがありました。
震災当初からいろんなことを目の当たりにし、ショックなことも多々ありました。
しかし、3.11から日にちを経た時に、目の当たりにすると、ショックの大きさはかなり応えます。

今なおこのような状態なのか、ということ。
反面、もう世間では、3.11の震災については終息し、済んだこととして受け止めておられる方も多数いること。また、マスコミ報道自体も、取り上げることも少なく、昔の出来事のような感覚で捉え、もう町は復旧してるんだと思っておられる方が、多数いること。

そうでは全くありません。

私がショックを受けた二点のうち、一つは、小学校が再開されずに、津波の当初のままだったこと。
南三陸でいつも配布しにいく高台に数件建っている地区に行った時のこと。
おじさんから、いろんな話しを聴きました。

聞くと、小学校が再開されていない。
そして、その校区の子どもたちは、遠くの学校に通っているとのこと。
その遠くの学校には、校長先生や学校の先生も、二つ分の学校の先生がいるとのこと。
校舎が再開していないから、校長先生も二人いるらしい。
で、そのままこの学校の校舎が再開することなく、津波の時のままになってるらしい。

方針がたつことなく、子どもたちは、いつ元の学校にいくのか、遠くの学校でずっと小学校生活を送ることになるのか、と思いながら小学校生活を送ってるかと思うと胸が痛む。

ショックだったこと。二つ目。
宮城県石巻の牡鹿半島に行った時のこと。

壊滅的な被害を受けた漁師町が多数点在していた。

その中で、ある浜の仮設住宅の区域に、訪問した時のこと。
漁港近くには、大量の瓦礫が山積みされていて、すぐ近くに仮設住宅がある。

仮設住宅のすぐ近くに瓦礫の山。
南三陸町ではあまり、見かけなかった光景だ。
瓦礫は、おそらく、津波で流された化学薬品や劇薬、ひょっとしたら放射線物質も含んでいるだろう。
海からは、至近距離だし、津波が今度来たら、かなり危ない場所にある。
その漁港に近づくにつれ、空気も悪く、私は、咳がひどくなり、居れない場所だった。すぐに退散してもらうようにやんじーにお願いした。

その晩、ぜんそくみたいな咳が出て止まらなかった。軽自動車の雪降る車の中、大変苦しい思いをした。

こんな劣悪な環境で日々暮らしておられるのかと思うと、ショックだった。

生存権というものがある。
基本的人権というものがある。

どんな国民も等しく教育を受ける、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるはずである。

と、日本の憲法にも定められてるんじゃないの?

日本は、そういったものがないのか?
先進国とは、いったい何なんだ?

数年前に、やんじーが救済していた首都圏でのブラジル人学校での炊きだしのことを聞いた時、食べられない子どもたちが日本にいるということにショックだったが、それと同じくらいショックだった。

同じ日本で起こってることですよ。
あらゆるいのちが、生き生きと自分らしく笑顔で平和に心穏やかに暮らせる日々を祈るばかりです。

文、写真 アグネス

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