被災地の方々のつぶやき。様子。いろいろ。


八月24日 曇り

今日は、朝から牛乳を飲んだ後に、おなかがゴロゴロして、トイレと終日お友達だったアグネスでした。

災害ボランティア10か条に確かおなかをこわさない体を。と書いてあった気がするが、宮城に入った三月より二回も壊しました。

やんじーは、今日も、淡々と物資を配ったり、ベースキャンプの荷物を整理しています。

私は、正露丸を何回も飲み、回復を待ちつつ、色んな話しを聴いたりしてます。被災地には、正露丸は、欠かせません。

チームやんじーのベースキャンプに来てお話して下さった被災地の方々のつぶやきなどを書き連ねていきます。

ある人の話し。家が流されていないが、現状は厳しい。仮設住宅(特に、報道などがよくされている仮設住宅)には、にわかボランティア団体などが物資を置いてたくさんある。家がある人には、物資は、当たらないし、買わないといけない。
一軒家に住んでる方が厳しい。
また仮設住宅の人は、義援金が入ってきてるため、車も新車を買ったりしている。

確かに大きな仮設住宅を訪ねてみましたが、今回、車がひしめき合うくらい並んでました。

また、一方では、家が流されてしまい、二重ローンの方もいます。

奥地の仮設住宅は、なかなか物資が配られません。また、高台で外から見たら普通に見える家や半壊住宅に住む方も気になります。

またまたある人の話し。
震災直後、家を流されてない人の家に流された人が寝泊まりして、家にある下着や衣服を惜しみなくあげたりもして助け合った。
しかし、仮設住宅が出来て、生活が始まると、家がある人には、物資も来ない。一体あの津波はなんだったのかと思うことがある。

一方、家が流されてしまい、仮住まいを建てたものの、ぶつけようのない怒りがあるのでしょう。ボランティアさんに心ない言葉を言う方もいます。

みなさんいろんな不安を抱えておられます。

南三陸町は、高台転地の候補地のゴルフ場建設予定地の場所を業者と仮契約するしないの話しは、まだすっきりしてません。元の海岸の土地には、自分の家も建てらない。
町づくりの方針が、国のごたごたからみても分かるように、定まってないように見受けられます。

そんな中でも、瓦礫の中に案内看板があちこち見られ、商店を再開しているお店もあります。

地元のガソリンスタンドのおじさんと。すぐ海のそばです。
数日前の震度五の余震も、逃げるスタンバイをして、車で高台にあがったそうです。
おじさんとも、すっかり顔なじみです。
『あなた方が来た当初は、ポンプでガソリンを組み上げてた状態だったけど、こうして建てたよー。』と言っておられました。
何だか胸が熱くなりました。

水を被ったカラマツは、随分切り出しされてます。地元の建設会社の所有している山も削って、宅地造成する動きもあります。

また、漁に出掛けてる方々もいます。
いつもお世話になってるあべさん。
私たちの留守の間、テントに風が飛ばないようにワイアかけたり、水を配って下さったり。
また、『チームやんじーは、真っ先に南三陸町にきて、一番大変な時にきてくれた、だから、留守の間、テント守って大事にしないとな~』と、みんなに言って下さってました。ありがたいです。
そのあべさんに再会できるかと思ったが、津軽海峡の海の上でした。元気な声でした。


写真は、ラーメン凪の椎葉さんとやんじー。真っ黒になりながらがんばってます。
ファミリーマート前で、ラーメン凪がやっていた歌津青空食堂は、以前セブンイレブンがあった平成の森近くに移動しました。

災害救援ネットワーク埼玉を作りたいと言って下さった松島さんのメッセージ。
チームやんじーのとこにも、簡易トイレ(とても立派です!)を最近、提供してくださりました。アグネスは、トイレがずっと近くになかったので、とってもとっても助かっております。
カフェここにいるよ。での札幌の報告会も、北海道に来ておられて、ご家族で顔出してくださりました。
9月29日は、埼玉にて、やんじーの災害防災の講演会を組んで下さってます。

そんなこんなで、秋の移り変わりといろんな人間模様いろいろ。

明日は、北海道で毎年やってる別海町の町内会の炊き出し訓練に向けて移動。
北海道の端っこに移動です。

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