7月1日(金) 晴れ
今日は、午前中、味噌や米を袋づめにして、軽トラックとセレナで、戸別に配る。
伊藤さんが魚をさばく。
夕方は、入谷小学校で炊き出しなので下準備をする。
あべさんが、プラスチックのパレットを海で拾ったので持ってきてくれた。
洗い場が立派になりました。
米、味噌を袋づめします。
米三キロ。味噌二キロ。
今日は、計、米300キロ。味噌100キロを袋に詰めました。
米、味噌、寒天こんにゃく、洗剤、Tシャツ、歯磨き粉や歯ブラシ、おむつや生理用品、下着などなど。
今日は、名足、中山地区を中心に配布する。
まずは、以前炊き出しをしていた名足保育園へ。避難所は解散し、通常の保育園になっていた。
みんなで遊べる大きなボールとお手玉を渡しました。おもちゃ、絵本は、い届いてるとのこと。
以前にも水を配ったおじいちゃん、おばあちゃん。ここに二人で暮らしていて、後ろの世帯の人たちは、仮設住宅に行ってしまった。
ここの高台に住んでるおばあちゃん。
お味噌ほしかったのー。と高台の家から降りてきた。
薄手のシャツもあったので渡す。
お父さんの分は?と何げにきくと、お父さん亡くなったのよ。。
何もいえなかった。
お孫さん用にオムツを渡し、次の場所へ。
以前、りんごを配りにいった時に出会ったおじいちゃん、おばあちゃん。
次は、通称峠地区へ。
峠地区は、38人の方々が高台におられる。また来てくれたんだねー。と大歓迎だった。
名足地区の浜の方にいき、やんじーが、味噌いらないかい?と声をかける。すると、懐かしい声が。
ファミリーマート前で、よくお手伝いしてくれてたちかちゃんだ!
子どもたちを連れて、名足保育園からよく通ってくれてた。
チームやんじーの第2陣のメンバーをよく知っている。
偶然ばったり出会い、思わず抱き合った。今、地元の建設会社の雇用で、瓦礫の片付けのアルバイトで、期間限定で働いている。
周りで片付けをしていた人たちに声をかけてくれて配る。
海のそばで配る。
海の男たち。
車の後ろに隠れてるプレハブが、漁師さんたちが作った通称【津波の湯。】
わかめを煮出す?釜を利用して作ったらしい。今は、仮設住宅にいった人がほとんどになり、閉鎖されたが、以前は、お風呂が出来て助かった人も多かった。
チームやんじーメンバーのとっちゃんや圭くん、けんちゃんなどは、入りにいったことがある。
漁師さんも、味噌など配る中で、魚は、まだあがらないが、米、味噌あがったから、母ちゃん喜ぶって。
目の前の基礎しかない家を指さし、ここが家あったところ。と、教えてくれる。
こんな被害なのに罹災証明がおりない。と、話す人も。
いろんな話しをきくと、こんな状態なのにどうして罹災証明おりないの?と、いうケースが多々ある。
町ごとに対応が違い、私たちが話しを聞いてる中でも、随分矛盾してるな。と感じるケースもある。
また、違う場所へ。
ここは、周りは海みえないとこなのに、一階部分は、丸々、浸水。二階部分の境目まで水がきたらしい。
昨日までボランティアさんが、片付けに入ってくれて、ほとんど片付いたらしい。
帰り道の道中にて。
まだまだ、食べ物や物資が、行き届いてないとこは、ある。
どのような状況なのか、ニーズを把握するにも、大変有意義な時間である。
最近、気になってることは、自衛隊の給水が撤退し、でも、家庭は、使い水しか使えない状態。給水車の数が減り、水がまた不足する。この暑さなのに。炊き出しにも影響するかもしれない。
水道復旧はいつになることやら。
聞くところによると、仮設住宅の水道も塩水だから水道が錆びてきてるとこも。水もれもあったとこもあると聞く。
気がつくと、私たちも車の中でかじったおにぎりが昼ごはんだった。
二時近くになり、夕方の炊き出し準備に入るため、一旦戻る。
続きは、次のブログにて。