志津川から清水浜付近の海岸線集落の様子。
コンテナが道を阻み通れない。
水を配った方がよいであろう集落を見つける。
あちこちで、海岸では、遠目でみると煙があがっている。
時々、海上自衛隊の巡視ゴムボートが近づいてくる。
お寺を発見。高台にもかかわらず、かなり水につかったようだ。
その合間でも、少ないスペースで畑を作っている。だいたいの畑で、ネギやジャガイモの花が咲いている。
果てしない瓦礫。
志津川から戸倉地区へ。
休憩場所の公園も、ぐちゃぐちゃ。
電柱が倒れてる。
海岸沿いにお好み焼きやさんが営業されてるのを見つけて入る。
石巻渡波地区を中心に活動しているボランティア団体にあう。
オンザロードという団体。
オーナーの方は、つい最近水が開通したので、店を開けたとのこと。
ここら辺の地区は、家の被害は少なかったものの、親戚の人や孫さんが亡くなった方もいたらしい。かなり悲しい話しをいっぱい聞きました。
カップルが、津波がくるといって誤って海側に逃げだして、彼女が彼氏の手を離してしまい、彼女だけ助かった。
一才の子の親が流されて、おばあちゃんたちが育ててる。
などなど、辛い話しをききました。
お好み焼きのオーナーさんも、葬儀にいっても、なんと声をかけたらいいか分からず、と涙ぐみながら話されてるのをみて、心が痛かったです。
オーナーさん自身も、おばあちゃんが町の病院に入院されていた。また、娘さんは、ヘドロのつかった石巻にいたりして、津波当初歩いて様子を見に行こうかと思ったが道は寸断、死体だらけで歩けないし、諦めて連絡がとれるをひたすら待ってたそうです。
食べものも、あるだけの米でおにぎりを作り、かついで歩いて探そうとしたそうです。
震災当初、孤立した集落で、パンや食事を何人もの人と分け合ったそうです。食パン一枚を六人で分けて、一日過ごしたときも。
話しをきいてるだけで、私も、何も声がかけられませんでした。
だけど、こうしてボランティアさんが来てくれてありがたいし、うれしいです。と言われ、私も、また返す言葉が出て来ませんでした。
とってもおいしいお好み焼きでした。
ごちそうさま、美味しかったと、握手をして手をふり、また会いましょうね。といって、その店を後にしました。
人が、海さね、ゴミ今まで投げてたちゃさ。だから、海がゴミいっぱい投げ返してるの。と、オーナーさん。
今まで、私が、いろんな話しをきく中で、大事な人、家、思い出などなど飲み込んだ海。
なのに、海を恨むような話しを聞いたことがありません。
海の生き物の話しが始まると顔が明るくなるおじさん。
海は、恨んでないが、今は見たくないという若者。
本当に強い。
こんな穏やかな海がどうして。。
明日から、また大潮らしい。余震も最近何度となくある。
今日も無事おわった。