南三陸から石巻へ。海岸線集落を調査しました。その2。


6月二十八日(火) 快晴

志津川から清水浜付近の海岸線集落の様子。

コンテナが道を阻み通れない。





水を配った方がよいであろう集落を見つける。

海岸沿いの焚き火発見。

あちこちで、海岸では、遠目でみると煙があがっている。
時々、海上自衛隊の巡視ゴムボートが近づいてくる。

お寺を発見。高台にもかかわらず、かなり水につかったようだ。


基礎しか残ってない家がたくさんある。

その合間でも、少ないスペースで畑を作っている。だいたいの畑で、ネギやジャガイモの花が咲いている。

果てしない瓦礫。


志津川から戸倉地区へ。
休憩場所の公園も、ぐちゃぐちゃ。
電柱が倒れてる。


モアイ像が海を眺めてる。


海辺には、なんにもない。


戸倉地区長清水。

海岸沿いにお好み焼きやさんが営業されてるのを見つけて入る。

石巻渡波地区を中心に活動しているボランティア団体にあう。
オンザロードという団体。

オーナーの方は、つい最近水が開通したので、店を開けたとのこと。

ここら辺の地区は、家の被害は少なかったものの、親戚の人や孫さんが亡くなった方もいたらしい。かなり悲しい話しをいっぱい聞きました。

カップルが、津波がくるといって誤って海側に逃げだして、彼女が彼氏の手を離してしまい、彼女だけ助かった。

一才の子の親が流されて、おばあちゃんたちが育ててる。

などなど、辛い話しをききました。

お好み焼きのオーナーさんも、葬儀にいっても、なんと声をかけたらいいか分からず、と涙ぐみながら話されてるのをみて、心が痛かったです。

オーナーさん自身も、おばあちゃんが町の病院に入院されていた。また、娘さんは、ヘドロのつかった石巻にいたりして、津波当初歩いて様子を見に行こうかと思ったが道は寸断、死体だらけで歩けないし、諦めて連絡がとれるをひたすら待ってたそうです。

食べものも、あるだけの米でおにぎりを作り、かついで歩いて探そうとしたそうです。

震災当初、孤立した集落で、パンや食事を何人もの人と分け合ったそうです。食パン一枚を六人で分けて、一日過ごしたときも。

話しをきいてるだけで、私も、何も声がかけられませんでした。

だけど、こうしてボランティアさんが来てくれてありがたいし、うれしいです。と言われ、私も、また返す言葉が出て来ませんでした。

とってもおいしいお好み焼きでした。

ごちそうさま、美味しかったと、握手をして手をふり、また会いましょうね。といって、その店を後にしました。

人が、海さね、ゴミ今まで投げてたちゃさ。だから、海がゴミいっぱい投げ返してるの。と、オーナーさん。

今まで、私が、いろんな話しをきく中で、大事な人、家、思い出などなど飲み込んだ海。
なのに、海を恨むような話しを聞いたことがありません。
海の生き物の話しが始まると顔が明るくなるおじさん。

海は、恨んでないが、今は見たくないという若者。

本当に強い。

こんな穏やかな海がどうして。。


明日から、また大潮らしい。余震も最近何度となくある。

今日も無事おわった。

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