仙台、南三陸町へ。変わらないもの、変わるもの

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11月7日

埼玉から北上し、仙台へ。
仙台は、東日本大震災のとき運輸会社の倉庫をお借りして全国から集まる物資を仕分けて、届け隊を作り届けました。

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そのときにリーダーをしてた仙台のりゅうちゃん。ぷりんやを三店舗経営してましたが、一店舗に減らし、今はぷりんやのコーディネーターとして全国のあちこちで大活躍。マツコの部屋という番組にも初回に出演したことがあります。
あいにくイベントに出て会えませんでしたが、以前いたぷりんやに行きました。
その後、南三陸へ。3.11の震災10日目でチームやんじーは現地に入りましたが、そのときはガタガタだった片道二時間の道路も、いまは、南三陸町の市街近くまで高速道が整備され開通したばかりだそうです。
市街に入ると6年近くたち、店も並んでましたが、盛り土が高く積み上げられ整備されてる途中、津波で流された町も建設現場の重機が立ち並んでいました。

市街から離れた歌津地区へ。
炊き出しの拠点にしてた歌津ファミリーマート前へ。すっかり様変わりでした。

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さらに高台のテントを張っていた敷地も、家が立ち並んでました。
さらに奥地の炊き出しをしにいっていた吉野沢団地へ。
変わらない笑顔がありました。

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野菜の挽き売りをしていたおじさん、軒先から始まった自動車整備のKさん、炊き出し時、軒先の駐車場を貸してくださったSさんそして、ファミリーマート前でお手伝いや地元の方々をつなげてくださった学さん。
学さんは家も津波にもってかれましたが、仮設住宅を経て、家を建てて住んでおられました。仮設住宅でも自治会長を務めたり、ボランティアさんを受入れされたりされてます。
仮設住宅は、そのまま建っており、半分くらいの方がまだ住んでます。仮設住宅にも関わらず、何回冬を越しただろう、、、災害復興住宅も戸数が足りてない状況のようです。
その後、歌津炊き出し拠点まで遠い道のりを子どもたち連れて歩いて炊き出しを食べにきてお手伝いしにきてくれたちかちゃんに会いに。
気仙沼に連れていってくれました。
いろんな方とお話しました。震災当初はサバイバル感がハンパなく、池水をろ過させて飲んだり、固くなったごはんをお湯に溶かして食べたりという話も。あったかいラーメンやデザートが忘れられないと言われてました。
お手伝いしてくれてた小さい子も小学生高学年。5年の月日を感じます。

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記 写真 アグネス

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