写真は、吉野沢団地で見つけた梅のつぼみ。
例年より遅いらしい。今年は、いつもより気温が低いとのこと。
しかし、季節は、きちんと巡るものなんだなあとしみじみ思う。
震災直後に炊き出しを始めた時も梅が咲いていた。
井戸水があるにらの浜のお宅へ。
ここは、国道沿いにある1件家だが、少し奥まっており、車が素通りしてしまいがちなお宅である。
震災当初、海からの流れてきた網が屋根に引っかかっていたのを思いだす。
チームやんじーも何度か物資を渡しに行ったが、本当に素通りされることが多かったらしく大変喜ばれた。
ここは、井戸水があり、地区のいろんな人たちと話すと、本当にここの井戸水でいのちが助かった人がどれだけいたことか!!
時々、そのような矛盾に出くわす。
震災当初、同じ地区同志で支えあって、家の残った人が家を失った人を受け入れて、家にある着替えや水や食糧や分け合っていた。
しかし、何か月も過ぎ、家の残っている人のとこには物資はあたらない。仮設住宅や避難所には物資が集中している。なんとも不平等な話である。
吉野沢団地へ。アグネスの写真が1枚もないから、やんじーが1枚撮ってくれました。
米5袋!重い。。。。
今日は、いつも代表で受け取ってくれている佐々木さんが仕事でいないので、向かいのまりこさんが数件分まとめて受け取って下さりました。
佐々木さんは、私たちが来たのを聞いて、わざわざ仕事の手を休めて、顔を見に遠くから駆けつけて下さりました。
写真がないのが残念。ありがとう。
少し、お家をお邪魔して、佐々木さんのおばあちゃんとまりこさんとお話しました。
今年の正月の様子、最近の状況などいろいろお話して下さりました。
オイルのランプが点きだしたので、いつもお世話になってるあべ石油さんとこへ。
いつも穏やかな笑顔で私たちを迎えて下さります。
オイル交換の間、いろいろお話をしました。
3.11の当初をお話して下さりました。
本当にすぐ目の前が海なので、地震が来た時は、すぐ従業員の方に避難するようよびかけ、車を近くの丘にあげたそうです。
そして、家が木造だてで家族の人が心配で、車で自分の家まで行ったとのこと。
その時、床屋さんから道路に歩いていた老人を見つけ、車で一緒に家の方まで行った。
その老人は、床屋さんで髪を半分切っている途中でそのまま逃げたとのこと。
家の方まで行くと、水が来ていて、近くの丘に逃げたとのこと。
まさに間一髪。老人が歩いてた場所は一気に水がきたので、歩いていたらいのちはなかった。九死に一生をえた。
その床屋さんの店も流されて、跡形もなかったとのこと。
あべ石油前の海の写真。こんなに穏やかなこの海が大暴れをしたのだ。
気になっていたひとり暮らしのおばあちゃんの仮設住宅へ。お米をお渡ししました。
先日、木の屋石巻水産さんから 震災で生き残っていた缶詰めをいただいたので、おすそわけ。
ラベルははがれたものの中味は震災前のもの。
平成の森テニスコート前のおなじみ学さんとこへ。
学さんは、自治会の副会長もつとめておられて地区の全体を把握されているので、 気になってる方に渡してもらうようお願いしました。
本当に地区の方やボランティアのお世話など精力的に働いておられます。頭が下がります。
昼ごはんをご一緒して、いろいろお話をしました。
最近は心のケアのボランティアさんと住民の方をつないだりしているようです。
いろんなボランティアさんが出入りしているようですが、学さんばかりに負担にならない体制が必要なのではと感じました。
12月に平成の森近くに建てられていた竪穴住居のコミュニティハウス。見事に完成していました。
住民のみなさんが集い、憩いの場で活用されるといいですね。
コミュニティハウスを最初からずっと携わっていた住民の高橋さんと。
無事に1日終わりました。
11日と12日で米150キロ(30袋) エリクサー水 10箱配りました。
文、写真 アグネス