311の震災、津波から四か月。余震と虹。


7月10日(日) 晴れ夕方雷雨のち虹

写真は、南三陸町の防災センターの様子。311の津波の報道の時に、たくさん映っていたので、記憶されている方もおられることでしょう。また、防災無線でいのち尽きる最後まで、高台に逃げてくださいと呼びかけていた女性もいた。それで助かったいのちもある。

四か月経った様子。
この防災センターでも、多くの尊いいのちが亡くなった。

一見、仙台の街並みも、通常の様子に見える。高いビルなどに、青いシートなど被ってるのを除いては。

昨日から、アグネスは、用事があった為に、今日も、仙台にいた。

朝から、お気に入りの神社、青麻神社におまいりしてから南三陸町に向かうことに。

震災後、ここの神社は、始めてのおまいりだ。

しかし、震災の為に、いつもいく道は、破損がひどく通行止めになっていた。
引き返し、別のルートから回る。

ご遺体安置所もまだあるようだ。

神社につく。
震災四か月が経ち、3月より被災地に赴き無事に過ごせたこと。東北の復興のこと。おまいりとお祈りをした。

近くの住民の方々も、水を汲んでいた。

近くに石窯パンやがあるので、帰り道に寄る。近所の方にお風呂にいれてもらったお礼にパンをちょっと買うためだった。

パンなどを選んでる時に、地震が。。

他のお客様にも、店員さんが、大丈夫ですか?と声を掛けてる。

地震後、外に出て車のラジオをつけると、津波注意報が、海岸部に発令されたとのこと。

途中、塩釜市方面に間違って行ってしまい、海側に。反対車線は、渋滞。海から逃げるクルマだった。防災放送もかかってた。危うく海沿いにいくところだった。

やんじーに電話をする。
警察や消防の車が走り回っていて、海辺の道は、高台に上がるように誘導している。とのこと。
ベースキャンプの高台にて様子をみる。とのこと。

仙台の方も高速道路は、速度規制がかかってたものの、開通してた。
ただ、今から走らせると丁度正午。満潮時にかかる。

しばらく神社近くの高台にて待機することに。

注意報が解除され、南三陸町に2時ごろ向かう。

南三陸町の海辺は、いつもより海の水位が、上がっていた。
中には、若干津波があったからだろうか、瓦礫に水も浸水していた。

ベースキャンプにつくやいなや、激しい雷雨がおそった。

車内で、しばらく避難。

雨があがったので、空をみると、大きな虹がかかっていた。

虹がかかってる映像。

今日一日、いろんなことがあった一日だった。

南三陸町、四か月過ぎても、このような場所がたくさんあります。植物は、青々と生えてます。

まだまだ長い目でみた支援が必要です。

少しずつのペースでも、復興していきますように。






南三陸町の町の様子は、災害救援ネットワーク北海道翻訳チームののりくんが撮影してくれました。のりくんは、8日に実家に帰り、19日にアメリカに戻るそうです。
アメリカに帰ってからも後方支援として、事務の文章作成などのお手伝いもして下さる予定です。現地を見て、また引き続き後方支援をして下さることは、心強いです。ありがとうございます。
写真は、のりくんとやんじー。

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