震災から6年になろうとする南三陸町や気仙沼で実際、見聞いたこと

11月7日

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東北の方面へ。いろんな再会もありました。
見聞きしたことを書き連ねてみました。

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◯災害復興住宅の戸数は足りてなくて、まだ造成してる。
◯家賃は収入に応じてだけど、最高一カ月18万最大払ってる人も!!まるで都会並みな家賃。
◯仮設住宅には半分くらいの方々が6年になるが、住む場所がなく住まざるを得ず、住んでる状況。仮設住宅にいたおばあちゃん二人と話したが、《孫には津波があっても同じ思いをさせたくない。高いところにすみたい。前向きになるしかない。》
◯山削って造成や道づくりが大きい重機でさかんに行われている。
◯仮設住宅を2020オリンピックの選手村の建物に使う案があるらしいが、自分たちが、仮設住宅に住んでたときは四畳半二つの部屋だったが、選手村に使うときは狭いと、壁ぶちぬいて二つの家分を一つ(四畳半四つ分)にする話が出てて、自分たちは狭い部屋に住んでたのになんで早く広くしないのという気持ちがあった。
◯仮設住宅も出たくて仕方なかったが、出るに出れない不安。反面、仮設住宅のコミュニティーが一つの家族みたいになった
◯隣の声や犬の鳴き声がして、壁が薄く筒抜けでストレスで脱毛症や鬱状態になった
◯仮設住宅に釘を打ったり棚を作ったりが最初出来なくて、収納も出来ず困った。前例をつくり、行政のいいなりばかりじゃ暮らすのに不便で困り、改善していった。
◯各部屋の扉が三つぶつかる設計で、狭い仮設住宅の中ひやっとする場面が何度かあった。

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などなど。

記 写真 アグネス

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