2012.11 三陸の様子。その1

12月7日、宮城県沖にてM7クラスの地震がきた。
丁度、私たちは、北海道に戻った直後で札幌にいる時の出来事だった。
心配してくださったみなさまありがとうございます。

私たちも、物資を配ってた地域がまさに津波警報が出て、避難指示が出ていたところなので、宮城のみなさんどうされているか気が気でありませんでした。
あの地区に住んでるおばあちゃん大丈夫かな。とかいろいろ頭をよぎりました。
テレビ・ラジオがないので津波の情報がないという人もいて、FBやツイッター、メイルなどで、三陸の方にお伝えしていきました。

だいじょうぶだよ。という声もいただき、ほっとしたしだいです。

活動の様子をお伝えするのに必死で、なかなか現在の三陸の様子の写真をアップすることができなかったので、いくつかに分けてアップします。
現在も今なおこのような状態のところが多々あるのです。決して、1年前の写真ではありません。今なおこのような状態のところもあるのです。
こんな状態で、同じような地震が来たらと思うと、ぞっとします。
私たちがいる最中も大雨が降りましたが、土地が冠水して、川や海の水位とほぼ同じというようなところも多々ありました。

今回は、東松島から石巻、南三陸に入るまでです。

トップ写真は団地か学校か?そのままになってます。

このように、ブルーシートで覆われた家もいくつもあります。


今回のM7の津波が1メートルきた鮎浜の表示看板。

更地のように見えますが、元は住宅街だったところです。

あちこちでこのような光景が。木を伐り出しています。
山を削り、宅地造成をしてるようです。
削っている段階はよく目にしました。しかし、家が建ってたり、公営住宅が立ち並んでいた光景はあまり目にしませんでした。

石巻へ。

車の残骸が積み上げられているところも、まだまだたくさんあります。

家もこのような状態が建ちぱなしのとこも。

ここも学校が再開されているのだろうか??

わたのは地区。震災後、炊き出しに行っていた箇所です。

きれいに建て直されているところもある。

魚の加工場か?新しく建てられたよう。

震災後、訪ねた神社。お堂が横になって倒れていたが、きれいになっていた。

いちょうの木。津波がかぶっているが、震災直後、青いいちょうの赤ちゃんが生えていた。
今も生きている。

石巻の石森章太郎記念館。この間、再開したらしい。このようなところに建っている。すぐ川の近く。

商店街のお店も、閉めているとこもある。再開しているところもあるが。。

石巻市役所。デパートらしき建物の中にある。仮庁舎なのかもしれない。。

南三陸に入りました。画像にてどうぞ。

また次回に続きアップします。

文、写真 アグネス

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