伊達市にて、DIG(災害図上訓練)と講演会。やんじー、有珠山噴火を振り返る。


11月30日(水) 雨

昨日の江差での講演会を終え、夜のうちに移動をかけて、伊達市に向かう。
伊達市は、北海道の湘南といわれるほど、温暖な気候が多い太平洋側の町である。
しかし、山手の方には、2000年にも噴火が起きた有珠山を控えており、また海から注ぐ河川も何本も走っている。
海も近い。


2000年の有珠山噴火では、やんじーは福祉救援ボランティア活動の現地対策本部 副本部長を務めており、活動していた。
東日本大震災では、交通料金などで災害ボランティアに一定期間、地元警察などからの許可書などを交付し、半額免除の時があった。
実は、緊急時の高速道路の無料化やフェリー、飛行機の減額措置など、前例を作ったのは、この有珠山噴火の時だった。

当時、やんじーが、国土交通省の担当官とかけあったエピソードがあり、いわば、やんじーが前例を作り、以降の災害ボランティアの道をつけたといっても過言ではない。
そのエピソードを紹介しよう。
噴火した後、洞爺町西山地区の3000人の人が豊浦町に避難した。しかし、豊浦町では、受け入れ体制が何も用意してなく、物資や毛布、生活用品など大至急調達してほしい。という要請が伊達市にあった。
しかし、伊達市では、自衛隊一個連隊が市役所の横に駐留していたが、全く運ぶことはない。

何度かけあってもらちが開かず、しびれを切らしたやんじーが、自ら4トン箱車を用意して、3000人分の食料、毛布、生活用品を何度も何度も往復して、たった一人で運んだ経緯がある。
その通り道は、噴火して閉鎖されていて、5か所の検問がありました。
横を見ると、噴火の真っ最中!
まさに、命がけでの、救援活動でした。

当時、やんじーの様子を見て、支援して下さった企業さんもいました。
大塚製薬、東洋水産、日清食品、北海道コカコーラーボトリングなど、物資や飲料水を提供していただきました。

それで、3000人の方が助かりました。

このことは、当時の災害の関係者には語り草になっているようです。

あれから11年。東日本大震災が起きました。

当時のやんじーを知る方々も、今日は伊達市講演会に駆けつけてくださりました。
当時の対策本部長、地元住民の方、当時地元でボランティアセンターを運営していた方など。

やんじーの話は、いつものように、熱く語っていました。


中間に、アグネスがお話しました。
地元の方しか知らない情報(たとえば、井戸水、逃げ場所、独居老人の家など)を出来るだけ、地域のコミュニケーションの中で共有して、生かしてほしいと、被災地での経験を踏まえてお話しました。
DIG(災害図上訓練)に入る。




みなさん、普段見逃している消火栓の位置や避難所など活発にDIGをしながら話しておられました。


やんじーが最後に総括をして終わりました。

2日は、夕方6時10分~NHKにて、ふるさとネットワーク北海道、震災支えあいコーナーにて、チームやんじーのこと放映されます。
また、3日、4日は、札幌のまほろばにて、レスキューキッチンを使った炊き出しでぶた汁を。

7日から 南三陸町に向かいます。

雪がちらついてきました。

もう、師走。冬の景色ですね。

文章・写真 アグネス

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