3月24日
南三陸町歌津地区にはいる。
ここは、電気、ガス水道が復旧しておらず、自衛隊の炊き出しで、米しか食べてない地区である。
昼は、ラーメン。
炊き出しは、ラーメンみのりの大将のラーメンをやんじーの所有してるレスキューキッチン (炊き出し機械)
二台を使って調理するという、コラボレーションで、行う。
ある避難所の予定だったが、急遽、小学校である避難所に向かわされる。
ここには、自衛隊のヘリポートになってたり、おおきな避難所だった。
ここでも、体制が、とれず、近くの広場でセッティングをして、炊き出し体制に入る。
自衛隊の炊き出しの米しか食べてないから、二週間ぶりのあたたかい食事は、とても、心あたたまる食べ物だったに違いない。
らーめんのおいしさは、もちろん、おいしかっただろう。
どんぶり鉢にビニール袋をしき、食べおわっても、水を使わず洗わなくても済む工夫があった。
ラーメンの炊き出しをしている間、カレーを作る準備にとりかかる。じゃがいもや玉ねぎは、長沼からいただいたものをふんだんに使わせてもらいました。
カレーは、避難所に、避難されている方がた 100人くらいの分も、近くの避難されてる炊き出し班のお母さんがたと広場にて、一緒にとりかかった。
広場は、海が見える高台で、海が見える景色は、とても、きれいなのに、その高台から、裾野に広がる街並みは、息をのむすさまじい光景。
とても、あの海が大暴れしたとは思えない穏やかな海だった。
街並みを移動してると、津波をかぶった箇所とかぶってない箇所かはっきり分かる。
ここの地区は、津波が普段もやってきやすい場所だが、津波限界区域という看板もとっくに超えていた。
高台の家も、被害にあわれてる家もある。
とちゅう、大きい余震がくる。
高台の広場にあるおじぞうさんも、かなり揺れてた。大きい余震だったとおもう。
ご飯が炊ける間、子どもたちも、数名いたので、大将が、急遽、ピエロの格好になり、手品。子どもたちの笑顔があった。お菓子も配る。待ってる時間も、なごやかな時間だった。
夜は、炊き出しをやってることを聞きつけ、顔なじみのおじいちゃんや、おばあちゃんもいた。近くの消防団の青年たちもいた。
レスキューキッチンで、炊き上がるやんじーカレーは、温かいご飯に、出来たてカレーで、おいしかったと思う。
結局、昼は、今日は、100人、夜は、400人分近くの食事をみなで、つくった。
夜は、暗くなり、発電機で灯をともし、カレーをつくり、提供する。
カレーができる間、ピエロ登場。
すっかり暗くなりました。
ボランティアのみなさんも、寒い中、また、暗くなってからも、黙々と作業してました。ご苦労様でした。
地域で、被害にあったこの地区に住む若者も加わり、一緒に荷物を積み込んだり、野菜の皮むきをしたりする。
地震があったときの話やその直後のエピソードや町の人たちの様子も、きくこともできた。本当に、怖い思いをしたんだろうなあと思う。
自分の地区のために、若者が、動いてる姿は、感動する。
あたたかい食事は、笑顔がほころぶんだなあと、つくづく感じた。
荷物の積み込みなどして、夜に移動。明日は、一日石巻へ。