埼玉県本庄市の講演会の合間に、群馬県太田市の日系ブラジル人学校を訪ねました。
太田市は、日系ブラジル人の方々が3分の1ほどいるくらい日系ブラジル人の方が多く、部品工場や車工場などの派遣で労働従事しています。
この学校は、日系ブラジル人で、向こうに30年ほど住んでいた方が経営されています。
普通に学校にいったものの言葉が通じなかったり、外国人ということで学校に適応しにくい問題もあり、言葉を母国語、ポルトガル語、また日本語など教えたりもしています。
センターの高野さん、やんじー、松島さん。
三年前に、やんじーが全国防災講演をいっている時に、日系ブラジル人学校で派遣切りで食べられない子たちが多数いるとのことで、何か月も炊き出しをしたのでした。
当時の話しとまた、震災の時の様子もいろいろお話して下さりました。
炊き出しをやんじーがしていた時は、派遣切りでブラジルに帰れないし、車で生活してる家族もいたそう。子どもたちは、おむすびを作るのに行列になり、また、家族分ももらったりしてました。
食べることに非常に困ってたそうです。
日本でも食べられない子たちがいる。
やんじーから三年前に話しを聞いたときは、衝撃でした。
あの時いた子どもたちの人数の半分の120人になったそう。
震災時も、教師の方がブラジルに沢山帰ったりと、かなり運営が厳しかったようです。
また、駐車場に100台もの日系ブラジル人の方の車が止まり、避難所になったそうです。
コンテナに物資を集めて、被災地にも残った先生方と仕分けをして、送ったそうです。物資の仕分け作業がこんなにも大変だとは!としみじみ言っておられました。
何はともあれ元気な高野さん始め子どもたちに会えてうれしかったです。
また、災害救援ネットワーク埼玉と合同で何かしたいですね。と話しもあったので、近くの方々が連携しあう雰囲気が出来、大変よかったなあと思いました。
(アグネス)